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前橋地方裁判所 昭和56年(わ)197号 決定

主文

本件訴因変更はこれを許さない。

理由

(訴因変更請求の趣旨)

被告人に対する昭和五五年一〇月三一日付起訴状記載の公訴事実「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五五年九月二四日午前零時三〇分ころ、太田市《番地省略》の自宅において、フェニルメチルアミノブロパンを含有する覚せい剤水溶液約〇・一五ccを自己の左腕に注射し、もって覚せい剤を使用したものである。」とあるうち、日時の点を「九月二六日午前三時一五分ころ」に、覚せい剤水溶液の量を「約〇・二五cc」に変更することを求める。

(当裁判所の判断)

本件訴因変更請求が許されるためには、前記起訴状記載の公訴事実の訴因(以下、旧訴因という。)と、検察官が変更を求める訴因(以下、新訴因という。)との間に公訴事実の同一性があることを要するので、この点について検討する。

公訴事実が同一であるとは、基本的事実関係が同一であること、すなわち、A訴因事実とB訴因事実のうち、重要な事実が一致している結果、A訴因事実とB訴因事実とが社会的歴史的にみて同一の事象と認められ、互いに両立しえない関係にある場合をいう。

それでは、犯行日時の点は右の重要な事実に該当するのか、それとも枝葉の問題にすぎないのか。この点は、当該犯罪の特殊性や犯行態様に照らし、具体的に決定すべきである。たとえば、A方からカラーテレビ一台を盗んだというような窃盗の事案では、被害者と賍物が同一である限り、そのような犯行は一回的にしか存在し得ないと認められるから、たとえ日時の点にくいちがいがあっても、両訴因は両立しえない同一の事象であって、公訴事実の同一性が認められる。しかし、本件のような覚せい剤使用の事犯では、しばしば犯行が反覆継続して行なわれ、複数の犯行を区別して特定しうる特徴を有しないのが通常である。したがってかかる犯行を特定するためには、日時の点が重要な意味を持ち、日時が異なれば、二つの訴因は両立する可能性があるのである。かような事案にあっては、原則として、日時のくい違いがある限り、その違いがごく瑣末である場合を除いて公訴事実の同一性を欠くというべきである。

しかし、他方、公判審理の過程において、被告人が覚せい剤を使用したことがそのころ一回限りであり、他に同種犯行の形跡がないことが認められる場合や、他の者と一緒に覚せい剤を注射したというように、ある覚せい剤使用の犯行を他と区別する特徴があって、その事実が両訴因を通じて同一である場合には、日時の点は枝葉の問題にすぎなくなる。けだし、右のような事情があれば、当該犯行は一回限りのものであって、日時が異なっても両立する可能性はなくなるからである。

ところで、本件における事実関係、訴因変更請求がなされるに至った経過は次のとおりである。被告人は昭和五五年九月二六日午前四時四〇分ころ、道路交通法違反(信号無視)の事実を警察官に現認され、任意同行された近くの警察官派出所で取調べを受けるうち、車内から覚せい剤の包みが発見され、これが所持罪の現行犯人として同日午前五時四五分に逮捕され、更に右覚せい剤の使用の事実につき追及され、最後に注射使用したのが同月二四日午前零時三〇分ころ、自宅においてである旨自白したので、同年一〇月六日右所持の事実につき、次いで同月三一日右使用の事実(すなわち本件変更前の訴因)につき、いずれも当庁太田支部に公訴を提起され、同年一一月七日同支部で開かれた第一回公判で公訴事実を全部認め、同月一一日保釈により釈放された。なお右公判で検察官から提出された証拠で、右使用の事実に直接関連するものは、被告人が九月二七日に任意提出した尿から覚せい剤が検出された旨の鑑定書と、訴因に全面的にそう自供(なお、「私は薬に敏感な体質で、シャブを打つと顔が蒼くなって目がつり上がる。この時も午前三時ごろ妻が帰って来て私の顔を見て『またやったね』と言い、それでごたごたして家をとび出した。」旨の供述――一〇月三日付員面調書――がある。)であった。ところが昭和五六年四月三日に至り、被告人は、昭和五五年九月二六日午前三時ころ、覚せい剤約一〇〇グラムを譲り受けた事実(当裁判所に対する昭和五六年四月一三日付起訴状の公訴事実)につき逮捕され、取調べの結果、右譲受の事実を自白し、かつその際、一緒にいた数名の者と共に、譲受にかかる覚せい剤をその場で注射したことを認め(この点については、譲渡側のA、Bらの供述によっても裏付けられる。)、水溶液の量は約〇・二五ccであったと述べ、更に加えて、「前に九月二四日に注射したと述べたのは、右一〇〇グラム譲受の事実を秘匿するためにでまかせを言ったもので、九月二四日に注射をした事実はない。」旨供述するに至ったのである。そこで、昭和五六年四月一三日、右譲受の事実につき当裁判所に公訴が提起され、前記太田支部の事件も当裁判所において併合審理されることとなった。そして検察官は、前記一〇月三一日付起訴状の訴因は、被告人の尿の鑑定時に最も近い最終使用の事実を起訴した趣旨であるところ、その日時に誤りがあったことが判明したので、この意味で新旧訴因は同一公訴事実の範囲内にあるとの見解のもとに、本件訴因変更請求をするに至ったのである。そこで検討すると、旧訴因と新訴因は犯行日において二日くい違い、犯行時において約二時間くい違い、水溶液の量においてもくい違いがある。そして右相違点のうち、量の点は枝葉の問題であるとしても、日時の点は前述の意味において重要である。すなわち被告人の公判廷供述によれば、被告人は、昭和五五年九月当時覚せい剤を常用し、多い時には一日二、三回使用していたことが認められ、犯行日のくいちがいがたとえ二日であっても、両訴因は両立する可能性が強く、しかも旧訴因については、前記のような、相当詳細な自白も存在したのである。これに対し、被告人は、当公判廷において昭和五五年九月二四日には覚せい剤をきらしていて、覚せい剤を使用する可能性はなく、同月二六日にAから覚せい剤を入手して、これを使用して注射したものであり、以前に九月二四日に覚せい剤を使用したと言ったのは全部虚偽である旨供述し、また昭和五六年四月一三日付検察官に対する供述調書中にも同様の記載がある。そこで、これらの供述がその通りだとすると、九月二四日から九月二六日までの間に犯行は一回限りであったということになる。しかしながら、被告人の前記供述調書によれば、被告人は、昭和五五年九月八日ころCから覚せい剤三グラムを買い、同月一七、八日ころ使いはたした旨供述しているが、三グラムといえば、一回分を〇・〇五グラムとしても六〇回分であり、一〇日前後で使いはたせる量とは考えられないし、(なお被告人は右三グラムはすべて自己使用し、他人に譲渡したことはないと述べている。)また常用者である被告人が一週間以上も覚せい剤を切らしたまま、過ごしていたというのも不自然であり、前記当公判廷供述は、到底信用することができない。このように、公判審理を通じても、新旧の訴因が両立する可能性を否定することができず、従って公訴事実の同一性がないといわざるを得ない。

なお、検察官は、本件起訴は被告人の逮捕前の最終使用一回を起訴した趣旨であり、当初不明確であった犯行日時の点が公判審理の過程で明確になってきたにすぎないから公訴事実の同一性を認めるべきであると主張する。

確かに、被告人の尿から覚せい剤が検出されたが、被告人が否認している場合に、採尿時から一週間程度前の日時から逮捕時までの間に覚せい剤を使用したものとして起訴し、最終の一回を起訴した趣旨である旨釈明して、犯行を特定する方法が実務上広く行なわれている。しかし、これは、犯行日時を特定する証拠が存しない場合にやむを得ず、このような方法によって、審判の対象、既判力の範囲等が必要最少限度特定されると解しているのであって起訴の当初から一定の証拠にもとづいて日時を特定して起訴した場合にまでこの考え方を推し及ぼすことは許されないと解すべきである。

けだし、右のような場合には、不明確な訴因が明確になったのではなく、まさにある事実から他の事実に乗り換えることにほかならないからである。

覚せい剤事犯の捜査が困難であること、殊に犯行の日時場所の特定を自白に頼らざるを得ない場合が多く、従って日時場所についての誤りが公訴提起後に至って判明する場合もしばしば起り得ることは、当裁判所としても理解しないわけではない。しかし、前述したような、他に犯行を特定づける客観的徴表の存在する場合はともかく、本件のような場合を追起訴手続によらず、「最終使用」一回のみを起訴したという検察官の意思(もしくは使用罪は通常「最終使用」一回のみを起訴するという実務上の取扱い)を根拠として公訴事実の同一性を認め、訴因変更手続でまかなうとすれば、あまりにも刑事訴訟の基本構造を無視した便宜的措置であるとの非難を免れないのではあるまいか。

なお検察官が意見書中に引用する福岡高裁昭四〇・一二・一五判決は、訴因中の犯行年月日の単純な誤記(証拠上はすべて昭和三八年であるのを三九年と誤記した)の事案であって、本件に適切でなく、他に本件と同様な事案についての先例は見当らないようである。

よって本件訴因変更は許すべきでないと思料し主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 藤井登葵夫 裁判官 本間栄一 倉澤千巖)

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